東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5520号 判決 1976年7月15日
原告
ウオーレン・ジー・シミオール
被告
立川バス株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の求めた裁判
一 原告
(一) 被告は原告に対し五七〇万七、五一八円およびこれに対する昭和五〇年七月二五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行宣言
二 被告
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二請求原因
一 事故の発生
原告は次の交通事故によつて傷害を受けた。
(一) 日時 昭和三九年一二月一〇日午後一〇時頃
(二) 場所 東京都立川市高松町二丁目二二一番地先路上
(三) 加害車 普通乗用自動車(多五あ一三五号)
右運転者 訴外市川徳寿
(四) 態様 原告が前記場所を西から東に向つて横断歩行し将に横断を終えようとした際、時速五〇キロメートル位の速度で南進してきた加害車に衝突された。
二 責任原因
被告は加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基き本件事故によつて原告が受けた損害を賠償する責任がある。
三 損害
(一) 原告は本件事故により左大腿骨、左上膊骨、右脛骨各骨折の傷害を受け、右傷害による治療費その他の損害については、昭和四〇年一二月東京地方裁判所に被告に対する損害賠償請求の訴えを提起したところ、同四二年五月一日裁判上の和解が成立し、被告において八〇〇万円の支払義務あることを認め、これを完済した。ところが、昭和五〇年五月一七日、治癒していたと思つていた右傷害が左大腿骨慢性骨髄炎、化膿性左膝関節炎として再発し、原告は、同日三九度から四〇度の高熱を発して意識不明のうちに自宅から急救車で井上外科病院に運びこまれ、同月二一日まで同病院に入院した後、同日慈恵医大附属病院に転入院して同年六月五日まで同病院に入院し、同日さらに聖母病院に転入院して同年七月二三日まで同病院に入院した。
(二) 右入院によつて原告が受けた損害の数額は次のとおりである。
1 治療費 一五二万一、三四二円
2 交通費 二万円
3 休業損害 三七一万六、一七六円
原告は弁護士として昭和四九年度においては平均一八五万八、〇八八円の月収を得ていたから、前記二ケ月の入院(前記入院期間を控え目にみて二ケ月とする。)により三七一万六、一七六円の休業損害を蒙つたことになる。
4 慰藉料 四五万円
前記原告の症状、入院期間およびその間弁護士としての重要な責務を果し得なかつたことによる原告の精神的苦痛は四五万円をもつて慰藉するのが相当である。
四 結論
よつて、原告は被告に対し五七〇万七、五一八円およびこれに対する原告退院の日の翌日である昭和五〇年七月二五日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する被告の認否および抗弁
一 認否
(一) 請求原因第一項については、(四)の態様は争うが、その余の事実は認める。ただし、事故発生時は正確には午後一〇時二〇分頃である。
(二) 請求原因第二項の事実は認める。
(三) 請求原因第三項のうち、原告が主張のとおりの訴えを提起し、右事件につき昭和四二年五月一日裁判上の和解が成立し被告が原告に対して和解金八〇〇万円を支払つたことは認めるが、その余の事実はすべて不知。
二 抗弁
(一) 本件事故については、原告は昭和四〇年一二月、東京地方裁判所に被告に対する損害賠償請求の訴えを提起し、右事件は同庁昭和四〇年(ワ)第一一、一九六号、損害賠償請求事件として係属したが、右訴訟の証拠調が終了した段階で裁判所より和解の勧告があり、昭和四二年五月一日「被告は原告に対し本件交通事故による損害賠償として八〇〇万円の支払義務あることを認め、原告はその余の請求を放棄し、本件交通事故につき本和解条項のほか何らの債権債務が存しないことを当事者相互に確認する。」旨の裁判上の和解が成立し、右和解は同日付の和解期日調書に記載され、被告は右和解金八〇〇万円の支払を了した。
よつて、本件事故については右和解によつて一切が解決ずみであり、原告の請求は失当である。
(二) かりに、被告に賠償責任があるとしても、本件事故発生については、原告にも夜間酩酊して自動車の進行に注意することなく突然車道にとび出した過失があるから、賠償額の算定に当つては右過失を斟酌すべきである。
第四抗弁に対する原告の認否および再抗弁
一 認否
(一) 抗弁(一)の事実は認める。
(二) 抗弁(二)の事実は否認する。
二 再抗弁
本訴請求の原因となつている原告の症状は和解当時予想し得なかつたものであるから、右和解の拘束力ないし権利不存在確認条項は本訴請求の損害にはおよばないものであり、かりにそうでないとすれば、和解自体が要素の錯誤により無効である。
第五再抗弁に対する被告の認否
否認する。
第六証拠〔略〕
理由
一 請求原因第一、二項の事実については、第一項(四)の事故の態様を除いて当事者間に争いがない。
二 原告本人尋問の結果によつて成立を認め得る甲第一ないし三号証、同第五号証の一、二、同第六号証の一ないし四、および原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和五〇年二、三月頃から左膝に痛みを覚えるようになつたので二人の医師の診療を受け(これらの医師の診断ではリユウマチが起きたのではないかということであつた。)、投薬を受けていたところ、同年五月一六日発熱とともに左大腿部に激痛を覚えるようになつたので、後記井上医師の開設する井上外科に通院し抗生物質の注射等の治療を受けたが、痛疼はさらに増加し三九度から四〇度の高熱が続いたため、翌一七日救急車で右井上外科に入院して同月二一日まで入院した後、同日慈恵医大附属病院に転入院して同年六月五日まで同病院に入院し、同日さらに聖母病院に転入院して同年七月二三日まで入院したこと、右井上外科受診当初、原告の左大腿部の瘻口から黄色の排出物が出ており、レントゲン写真上左大腿部に腐骨片が認められたので、抗生物質の注射等の治療がなされたが、同月一八日には左膝関節が著しく腫脹してきたため穿孔により約一〇〇ミリリツトルの黄白色の膿を排出し、慈恵医大附属病院転院後は抗生物質の投与のほか膝関節の排膿、洗浄等の処置が施され、聖母病院転院においても抗生物質の投与が続けられた結果原告の症状は軽快したこと、および、原告の右症状についての慈恵医大附属病院の最終診断は左大腿骨慢性骨髄炎および腐敗性左膝関節(化膿性膝関節炎)であり、右慢性骨髄炎は本件事故による受傷時に併発した骨髄炎が再発したもので膝関節の症状は右骨髄炎が原因となつて発生したものであることが認められる。
しかしながら、本件事故については、原告は昭和四〇年一二月東京地方裁判所に被告に対する損害賠償請求の訴えを提起し、右事件は同庁昭和四〇年(ワ)第一一、一九六号損害賠償請求事件として係属したが、昭和四二年五月一日「被告は原告に対し本件交通事故による損害賠償として八〇〇万円の支払義務あることを認め、原告はその余の請求を放棄し、本件交通事故につき本和解条項のほか何ら債権債務が存しないことを当事者相互に確認する。」旨の裁判上の和解が成立し、被告が原告に対し右和解金八〇〇万円を支払つたことは当事者間に争いがないから、前記原告の訴状が和解当時予想し得なかつたものであることを立証しない限り原告はこれによる損害の賠償を求め得ないものといわなければならない。
三 そこで、原告の再抗弁について判断する。
前顕甲第一、二号証、原本の存在とその成立に争いのない乙第一ないし四号証、同第五号証の一ないし三、同第六号証、同第七号証の二、同第八ないし一五号証および原告本人尋問の結果を総合すると次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
(一) 原告は、本件事故により左大腿骨、左上膊骨、右脛骨各複雑骨折の損害を受け、立川米空軍病院に入院して治療を受けたが、治療中左大腿骨に骨髄炎を併発し長期加療の必要が見込まれたので、前記訴訟においては既往の治療費および交通費等二二四万〇、六六〇円、将来二〇年間の治療費一、四一七万二、五七二円、得べかりし収入の喪失による損害一、〇六〇万円、慰藉料一、〇〇〇万円の合計三、七〇一万三、二三二円の賠償請求をなし、これに対し、被告は、本件事故は原告が酩酊して自動車の進行に注意せず電柱のかげから突然車道にとび出したために発生したものであり、加害車運転者および進行供用者である被告には何ら過失はなく、加害車には構造の欠陥も機能上の障害もなかつた旨主張して損害賠償責任を争つたので、裁判所は事故状況および原告の病状について証人尋問、本人尋問、検証等の詳細な証拠調を実施し、ほぼ証拠調が終了した段階で双方に和解を勧告したところ、原告本人も出頭のうえ前記和解が成立したこと。
なお、原告は前記訴訟において加害車運転者である市川徳寿も共同被告として訴えていたが、同人に対しては請求を放棄している。
(二) 原告の症状については、和解成立時の四・五ケ月前である昭和四一年一二月一五日に立川米空軍病院および東京大学伝染病研究所附属病院で原告の治療を担当した井上毅一医師の証人尋問が行われており、右証人尋問において同医師は、同年五月頃、原告が右伝染病研究所附属病院に外来患者として診察を受けに来た際、同病院の石橋教授とともに診察した時は既に傷口はふさがつていたが、左の腰の部分に小さな穴があいており、膿その他の分泌物は出ていなかつたけれども穴は湿つていた、石橋教授は、レントゲン写真には骨髄炎の像は見られないが、写真に骨腫のような像が写つているので将来手術して取る必要があり、今後も相当長期間通院して治療を続ける必要があるとの診断をしていた旨供述していること。
(三) 原告は昭和四一年一二月頃、前記伝染病研究所附属病院で腐骨片の除去の手術を受けているが、その後も瘻は左大腿部に執拗に残り和解前も和解後にも不定期的に排膿があり、前記井上医師からも運動には影響しないが、時折不定期的に大腿部から排膿があるであろうといわれたことがあること。
(四) 原告は前記のように和解後も左大腿部から不定期的な排膿があつたが、和解後左膝に痛みを覚えはじめた昭和五〇年二、三月頃までは特に治療を受けたことはないこと。
以上認定の事実によると、原告の骨髄炎は和解当時完治しており完治を前提として和解がなされたものとは認め難く、さらに、右認定事実に前示和解の内容および前掲証拠によると本件事故発生については原告にも夜間酩酊して自動車の進行に注意することなく歩道から車道に出た過失があつたものと認められ、この原告の過失は和解の際当然考慮されたであろうことを併せ考えると、原告は骨髄炎の完治が非常に困難であることを認識しており、それ故にこそ多額の将来治療費を請求していたのであるが、日常の行動に差しつかえのない程度に回復したので、骨髄炎の再発等によつて将来治療を受ける必要が生じる危険性は考慮に入れながらもその可能性は少いと判断し、結果を確実に予測することのできない判決よりも早期確実に一応の満足を得ることのできる和解を選択したものと推認し得ないでもない。
もつとも、前顕甲第三号証中には大腿骨骨髄炎が原因で膝関節に関節炎が生ずることは極めて稀なもので、普通予期されないものである旨の記載があるが、医学大辞典(南山堂版)の骨髄炎の項には骨髄炎の病理として中間部の炎症は骨幹部、骨端部さらには関節に波及し、合併症として関節炎を起すことがある旨記載されており、これによると骨髄炎の合併症として関節炎を起し得ることは医学上の定説であるとも考えられるので、前記記載のみによつて原告の前示症状が和解当時予想し得なかつたものと断定することはできず、他にこれを認め得るような証拠は存しない。
そうすると、原告の再抗弁はいずれも和解当時予想し得なかつた症状が発現したことを前提とするものであるから、その前提が認められない以上理由なきに帰着し採用し得ない。
四 よつて、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないこと明らかであるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 笠井昇)